不幸が私は成長させるのかもしれない
私が自分について深く考えるタイミングは、不幸な時ばかりな気がする
現状を整理して分析して、どうしたら打開できるか、繰り返さずに済むかを考えることで成長してきたように思う
そんなふうに考えられるおかげで、大抵のことを何だかんだいい経験にはなったと捉えられてもいる
今後も不幸なことを何度も訪れるだろうけど、その度に私は成長していく
人は変わっていく
変わらないものが欲しいと思っていた
でもそんなものはなくて、私だってどんどん変わっていく
無理に合わせようとするんじゃなくて、変わっていき、時には失うことも受け入れられるようになりたい
自己完結させない
僕の地球を守ってを読んでる
紫苑はいつも自分だけで考えて勝手に想像して相手の気持ちを決めつけているなと思った
紫苑の生い立ちを考えるとしょうがないのかもしれないけれど、玉蘭ともっと話ができていれば違う未来があったのに
自分だけで一人で考え続け、偏った思考のまま決断を出すことの恐ろしさを感じる
守るべきところ
「九尾の狐とキケンな同居」を見てる
主人公が敢えて恋人に冷たい態度を取るが、その後に「恋人に好きな人には本心で接するべき」と言ってやめるシーンがあった
私は去年ぐらいから、優位に立たねばと思ってルールズも遵守してきたけど必ずしも守る必要はないかもしれない
変に囚われて不誠実な態度をとっていた時もある気がする
依存しないようにするだとか、自分の生活を大事にするとかいうマインドは守るようにしつつ、誠実な態度を取れるように心がけたい
恋愛に限らず
バトン
「そして、バトンは渡された」を読んだ
本当の主人公は森宮さんだったのかもしれない
彼はバトンを渡され、しっかりと次に繋いだ
読み終わって晴れやかな気持ちを感じつつ、「渡すバトンも、その先もない私はどうすればいいんだろう」と思った
自分のためだけに生きていこうとしているのが、本当にこれでいいのかと急に不安になった
バトンにはいろんな形があるのかもしれない
本作ではそれが「大事な人の未来を次の人に託すこと」だったけど、私にとってのバトンは何になるんだろう
正しくなくてもいいんだ
正しいことをしなくてはならないと思っていたし、自分は大体正しいと思っている
でも間違ったところで本当に深刻になっちゃうことなんてそんなにないし、遠回りになってもいいのかもしれない
間違った先には正しい道だと出会いなかった物がきっとあって、それも楽しめるようになりたい
こうやっていろんなこだわりを捨てて自由になっていきたい
自由意志について考える
テッドチャンの息吹を読んだ
全ては決められていて、自由意志などないのなら、なんのために生きているのだろう
そう思って無気力状態に陥ってしまうという話があった
パラレルワールドを覗けるようになって世界で、どのような選択をしても結局は同じような結果に収束していることが判明して、選択に自分の責任はなかったのだと解放される話があった
自由意志などないと考えるのは、私にとっては楽なことかもしれない
結果が決まっているのならば、出来るだけ楽しいと思うような過程を通って進んでいきたい
若い地球説を題材とし、主の意志を探究したいたけれど、主にとって人間は大した存在ではないという疑惑が出る話があった
その話は、主がどう考えていようと自分のために探究を続けると結んであった
私も自分のために、自分で選択して決めていきたい
そこに自由意志がなかったとしても、「自分で決めたのだ」と思うことが大事な気がする